社長の言葉に反応する

先日、社長の講演があった。といっても、全員は出席できない
ので、半分が参加。わたしは、次回になった。

翌日、カトウさんが怒っていた。
社長が、講演のなかで、ある差別的と思われる言葉を連発
したというのだ。しかも
「いまは使っちゃいけないんだけど」といいつつ、繰り返して
使ったという。
「それまではおもしろい話だと思って聞いていたけど、あれ
でがっかりしたね、最低だよ。見識を疑う!」
と興奮していた。

さらにその翌日、ヤマグチさんとお昼に行ったら、彼女も社長
の例の言葉の話を始めた。彼女もとても不快だったと言う。
彼女は、トップに立つような人はそういうことに鈍感なのか
と言った。

わたしもその場にいたら、間違いなく不快を覚えただろう。
でも一方で、違う気持ちも湧いてくる。

みんなに使われなくなる言葉は、忘れ去られていく。
そうやって言葉は淘汰されてきたはず。
使う人がいなくなれば、自然と廃れていく。

けど、差別用語(←いやな言葉だ)などと規定?されて、
人為的になくなっていくのは、かなり意味が違う。

表現することばが制限されるのって、なんだかおかしい。
それは、わたしたち日本人が、どうしても均質を重んじて、
個性の突出を喜ばないことと通じてはいないのかな?
その感じが不安を覚える理由かな。

少し前に番人さんが、昔の「さざえさん」はキャラが違って
いたと書いていらしたのを読んだとき、それは、放送コード
と関わりがあるんじゃないかな、とふと思ったことと、同じ
不安感かもしれない。