波切と書いて、なきりと読む

今回は、研修旅行という名目で三重県波切へ。
研修というよりはむしろ合宿。
全員が同じ宿に泊まるのだもの。
日程は5/5〜5/7だけれど、交通の便があまりよくない
ため、前泊の必要があった。
そのため、4日も休みを取り、のぞみに乗った。名古屋から
近鉄線に乗り換え鵜方で下車、そこからバスで20分、そこは
入り組んだ港の突端。
この大学に入らなければ、ここが「画家の街」だなんてまるで
知らなかったし、訪れることもなかっただろう。不思議な気分。

宿に着き、バスから一緒だった青森のSさんと散歩に出かけた。
道は細く入り組んでいる。高低差が激しく石の階段や石畳が
表情豊かだ。今どきのしゃれた家も多くあるなかで、古い家や
廃屋も残っていて、なるほどいい雰囲気だ。
展望台から西を見ると、いったん下がった街並がせり上がる
高台に太陽がしずしずと沈んで行く。
ギリシャサントリーニ島を思い出した。
宿に戻ると、宴会場に、先生ふたりと、仲間たちが待っていた。
以前出会ったAさんがいて心強い。料理はもちろん魚中心、
うまい!

相部屋で設備は十分ではないけれど、食事は大満足だった。
食事のとき、風で窓がガタガタ鳴ると、ある人が「ええっ!
これ風の音?」と大騒ぎ。すかさずY先生が「皆さん常々
いいホテルに泊まってはるでしょうが、これもいい経験と
思ってください」。
たぶん必ず出るリアクションなんだろう。

この時いた人たちは、15人ほどだったけれども、翌朝、
6人増えた。
前日まで京都であった6日間のスクーリングから駆けつけた
らしい。すごい。
全員揃ってみれば21人。そのうち6人が男性。23歳の若者
の他はほぼ50〜60代。今回驚いたのは、みなさんとても
絵が達者だったこと。
それ以外は女性で、これも驚いたのは、20〜30代が7人
もいたことだ。つまりその他の8人が40〜70代女性。

初日の5日は、鉛筆デッサンだった。大快晴のもと、各自
好きな場所でデッサン。わたしは丘の中途の石の階段に場所
を占めた。
観光客が往来する場所で絵を描く度胸はなかったから。
でも、地元のおばあさんが散歩の途中の足を止めて、しばらく
おしゃべりしたりした。

16時半に宿に戻り合評会。かっこいい絵を描いた人が数人
いて落ち込む。広島のTさんは微妙に「へた」とY先生に
言われ、夜、「ショックでした」と言っていた。
わたしも「構図の決め方が曖昧なまま描いているから辻褄が
あわなくなってる」と言われた。
I先生はもう少し優しくて、「描き過ぎちゃったね」だった。

2日目はペンを使ってスケッチ。またまた大快晴。
わたしは港で、船からその向うの丘を描いた。午前中集中して
描き、お昼を食べてからまた同じ場所に戻ったら、漁を終えた
漁船が戻ってきていて、数人の人々が集まっておしゃべりして
いた。

そのうち、そこにいた若いスケボーのお兄ちゃんがわたしの絵
を見にきた。
大阪人の彼は、ここの漁師の「アキおじぃ」のファンで、
10年来、ここに通ってきているとか。
「アキおじぃ」とは偶然出会って、すごいかっこいいとかで
心酔して、弟子入りして漁師になろうと思ったんだって。
でも「アキおじぃ」に厳しさを諭されてあきらめたと言うのだ。
今は結婚して子どもも去年できて、定職にもつけて満足だと
言っていた。

その「アキおじぃ」はわたしのスケッチを見て
「3,4年くらい描いてきた絵やね」と言った。
図星!恐れいりました。
結局彼らと1時間くらいもおしゃべりしてしまい、絵の方の
手は止まってしまった。
後の合評でY先生は、「小手先の技術はあるけど、手前の海を
描かなかったからプラスマイナスゼロ!」と言った。
ちと悔しいけど、おもしろかったから、いいや。

ところで、毎夜夕食の後、先生たちの部屋に全員が集まって
宴会があった。「研修旅行」という位置づけということが
よ〜くわかった。I先生は、制作上での工夫の話をしてくれた。
わたしは今家で描いている「鏡面の自画像」(再提出)を
「絶対、先生が見てくださいね」とアピールしておいた。
このスクーリングには、もっと早く参加すべきだったかも、と
思った。

夕食後の宴会は、最終の三晩目が最高に盛り上がった。
旧知の東京のAさん(一回り年上のかっこいい女性)がすっかり
酔っぱらい、わたしに「わたしは最初に会った時から、あなたに
興味持ったの!」と繰り返し言ってくれたのは、かなり嬉しかった。