クリスマス礼拝と満天の星

土曜日夕方、群馬へ。
母はデイ・サービスから5時半頃帰ってきた。
炬燵にあたって、デイ・サービスのことを
「特になんていうこともないけど、ただ人としゃべってるだけ
でもいいと思ってさ」
などと言っていたと思ったら、まもなくコトリと眠ってしまった。
9時頃までそこで眠っていて、ふらりと起きて布団に行った。

日曜日、カップ浦和レッズの3位決定に大喜び。
それから、実家近くの母校で行われた「市民クリスマス」に行った。
聖歌隊ハンドベル演奏やみんなで歌う讃美歌が懐かしい。
旧知のM牧師の説教は何十年ぶり。
最後は聖歌隊ハレルヤ・コーラス
司会者が「歌える方は壇上へどうぞ」と言う。
残念ながら、わたしが歌ったのは大過去だ。自信なく、席から参加。
壇に上がった人たちは、特に男性がすばらしい存在感だった。
来年は、予習して行って、壇上の人になろう。

帰りは、満天の星を仰ぎ見る。
久しぶりにオリオンやスバルや、カシオペア、北斗七星まで
わかって、いい気持ちだった。
クルマ社会だから、夜、とぼとぼ歩く人など誰もいない。
独り占めだ。

翌朝は、この冬一番の冷え込み。庭の瓶の水が凍っていた。
デイ・サービスは9時前に迎えのクルマが来ることになっている。
母は自分で身支度を整え、バッグを脇に置いて、窓の側に正座して
待っているのだった。
その小さな姿を見ていたら、きっと、こんなことが記憶に残る
のだろうなと思った。

近くの道の駅のような店で、なぜか昭和40年代の書物をまとめて
売っていた。その多くは群馬の地方史的なもので、たとえば
「奇岩の山 妙義」「榛名と伊香保」などというタイトルだったり
する。5、6冊買い込んだ。
「榛名と伊香保」の中で見つけた山村暮鳥の詩がとても好きに
なったので以下に。

     沼
          山村暮鳥

 やまのうへにふるきぬまあり、
 ぬまはいのれるひとのすがた、
 そのみづうみのしづかなる
 そのみづうみにうつれるそらの
 くもは、かなしや
 みづとりのそよふくかぜにおどろき、
 ほと、しづみぬるみづのそこ
 そらのくもこそゆらめける。
 あはれ、いりひのかがやかに
 みづとりは
 かく、うきつしづみつ
 こころのごときぬまなれば
 さみしきはなもにほふなれ。

 やまのうへにふるきぬまあり
 そのみづのまぼろし
 ただ、ひとつなるみづとり。