ハウステンボスのなごり

19日に帰って荷物をといたら、ハウステンボスで買ったはずの
お土産が1点足りない。

レシートが残っていたので、とりあえずレシートに記載の場所に
電話して、レジに入れ忘れて残っていなかったか聞いてみる。すると、
対応は丁寧でよかったものの「お忘れ物はございませんでした」と
言われた。「忘れ物」という表現に釈然としないながらも、わたしも
もっとよく探して、なかったらまた電話する、と言った。

申し訳ないなと思いつつ、元ハウステンボス社員のBちゃんにメールで
相談。すると翌日の夜電話でBちゃんが、せっかくの旅の思い出を
台無しにしてほしくないから、もう知ってる人も少ないけど、
ちょっといろいろやってみるよ、と言ってくれた。

どこかで落としたかもしれないし、Bちゃんには面倒なことを
頼むので気が引けたけれど、結果を待つことになった。
そのお土産はH川さんに上げようと思って買ったので、レジの様子など
けっこう詳細に憶えていたこともあって、何かあっさりあきらめたく
なかったんだな。

そしたら昨日夫が休みで家にいるとき、Bちゃんから電話で、
ハウステンボスではもう、わたしに商品を送る準備ができていた、
と言ってきたそうだ。

きょう商品が届いた。
同じような仕事をした経験があり、おわびの文章を書くのに苦労した
憶えがある。同封の手紙文が誠意あるものだったので、感心した。

なんだかんだでもう4回もハウステンボスに行っていて、勝手に
親近感を持っているので、今回は、別の感慨を持ったよ。

18日にBちゃんが、わたしたち夫婦と長崎までドライブしてくれた
とき、少し前に閉鎖されたオランダ村の前でクルマを止めた。
彼はハウステンボスが出来る前に入社したので、就職して半年は
オランダ村で研修していたそうだ。
「ここはとてもよく出来た施設で、ある意味ハウステンボスより
すごかったんだよ。ここに就職できたことを誇りに思っていたんだ」
と言った。

そしてクルマが長崎市内に入り、平和公園の前を通ったとき、
「「精霊流し」と「おくんち」のとき、長崎に生まれてよかったって
思う」とも言った。

今まで知っていた彼と、少し違った。
幸せになってほしい。