DNA

いろんな人たちから、お見舞いのメールをいただき、
ありがとうございます。

どうやら風邪をひいたらしい。何年もひいてなかった
のにな。何日か前の夜中、あまりにも肩や胸が痛くて
眠れなかったんだけど、あれが前兆だったのかも。
枕が低すぎるのか、とか、母が初めてのひとりで過ごす
夜だ、ってことも気になっていて・・・。
きのう会社で、「ぐわっしょ〜いいいい」というような
猛烈なくしゃみが何発も出たときもまだ気づかず、
「久々の会社で空気が合わないのか」なんて思って
やり過ごしたんだけど。

それにしても、残された者たちのするべきことのなんと
多いこと。
40数年、縁のなかった印鑑登録も必要だとか。
まぁ、ばたばたせず、ゆっくりやるべし。

それよりびっくりしたのが、告別式の朝6時半に、
「思い出のため、アルバムを作りませんか?」
という電話がかかってきたこと!
みんな爆睡していて、やっと起きていった妹は、
「最初(相手が)何言ってるかわかんなかったよ」と
言った。その翌日は石材店、レストランの案内がどこどこ
届いた。とある一件は営業マンさえもやってきたとか。
父は去年、お墓をつくっていたのがつくづくありがたい。

葬式というものは、久しく会っていなかった親戚が集う
ものだ。これもつくづく思ったこと。

特に熱海の叔父とは、いつ以来?
すっかり貫禄もつき、世慣れた感じがナイス!
大学1年の夏休み、彼の奥さまがやっていた熱海の海の家で
バイトで働くことになったのに、あろうことかホームシック
になり、群馬に逃げ帰った苦い思い出があり・・・。

母方のきょうだいたちは、顔の彫りが深くて、目も薄い茶色
だったりするのが、なんだか不思議。
血って、なんだろうね。綿々と繋がってきたDNAに興味
がわいたけど、詳細を知る人はいないかもな。

そう言えば、いろいろ事情があり、母たちの前橋の実家は
人手に渡ってしまっている。その際、アキコ叔母が、写真を
全部引き取ってきたそうで、この機会に何枚かもらったのだ
けれども・・・。

高校に入る前の春休みに、広島の叔父叔母を、いとこと
母方の祖父母と4人で訪ねたときの写真には、参った。
顔の横幅がむちゃ広いんだよ、あたしってば。
横に拡がって、それから縦に伸びたらしいなぁ。
それに、まだ出来立ての高校の制服のジャケットを、私服の
ミニスカートに合わせて着ているのにはがっくりだったな。

だってさ、今の会社にはとりあえず制服があるんだけど、
社則が変わって、着なくてもいいことになって、普通は、
ちゃんと着るか、まったく着ないところ、ある人がいっつも
私服の上にジャケットだけ着ていて、常々「だせ〜」と思って
いたんだよ。
それをよ、大昔のことといえども、このわしがやっていた
とは・・・、正直、トホホだったっす。

群馬では、クルマの運転が出来なければ、どうにもしようが
ない。帰京の前日、隣町の病院の近くの老舗お菓子屋さん
までバスに乗って出かけて行った。

そこには高校3年まで住んでいたので、お菓子屋さんの
女将さんもわたしを憶えていて、買い物のあと、当然のように、
近所の友人たちの話になり、聞かれるまま、わたしはいい
調子でおしゃべりに興じていたそのとき、ふいに記憶が甦った
のだよ。

それは大昔もいいところのわたしの幼少のみぎり、そのお店の
おばあさんとおしゃべりが止まらず、親戚のことなどしゃべり
続けはっと子ども心におしゃべりが過ぎ、同時に相手のおばあ
さんも困惑しているその場の空気にようやく気づいたわたしが、
後味の悪い思いで、帰宅したことを。

それを思い出したので、わたしは、どうにか店を後にすること
ができたのだ。
危ない。あの店には、なんだか知らないが、しゃべり本能を
くすぐる匂いが溢れているのだ。だって、わたしの旧友たちの
こと、彼女はすんごい詳しかったもの。
わたしの町まで戻るバスは当分ないので、歩いて帰った。
このあたりでは歩いているのは、年寄りか子どもだ。

途中市役所に寄ったので、まぁ、無駄ではなかったものの、
なんだかよくわからない数時間ではあったよ。