夏期スクーリングに行ってきた!

京都にある美術系大学通信教育部の、スクーリングに
行ってきた!

29日から31日までが、鉛筆デッサンで牛骨を描く。
一日休みで、2日から4日までが木炭デッサンで
石膏像。毎日9時から6時。

京都は、前半はやや涼しく、後半は猛烈な暑さとなった。

28日、特割で羽田から伊丹へ。東京は晴れていたのに
大阪は雨で、飛行機はかなり揺れて、さい先不安。
伊丹には、妹と甥が迎えてくれた。3人でバスで京都へ。
地下鉄で丸太町で下車。ホテルに向かう。
激安のホテルだけど、清潔で簡素。安心した。

一息つき、大学の下見に行った。大学は、威風堂々の
佇まいで、わたしには、威圧的で、あまりセンスがいいとは
思えず。しかも、通信のキャンバスはそこから、10分も歩いた
住宅街にひっそりとあった。

その日は四条をぶらぶらし、妹たちと別れて、ホテルへ。
その夜は、ほとんど眠れず、お隣りのお屋敷の黒々とした影
から聞こえる秋の虫の声を聞きつつ、うとうとするのみ。
最悪のコンディションで初日を迎えた。

クラスに集まったのは12人。20代から60代まで、男女比8:4。
講師は30代前半の、浅黒く日焼けした、どことなくラテン風な
細身の男性だ。髪をぴっちり結わえてて。
それもそのはずで、スペインに数年暮らして、画家としての経験
を積んだとか。やっぱり、服の配色がただごとではないと思った。
紫のシャツにレンガ色のパンツとか。

簡単な自己紹介のあと、制作に入ったけれど、自己紹介で
「カルチャーに飽き足らずここに入学しました」と言ったのが
あとあとまで、たたることになった。

と言うのも、どうやら、美大の先生たちは、カルチャーがお嫌い
らしいのだった。成り立ちも生徒の取り組み方も違うんだから、
別に、いいじゃん、と思うのだけど。

牛の骨は、まったく難しかった。例によって、調子の付け方で苦心
賛嘆。途方に暮れた。でも、角の表現で、消しゴムテクニックを、
先生が惜し気もなく教えてくれたのが、うれしかった。

寝不足が、夕方にはピークに達し、ついぼんやりしてしまう。

ホテルに帰り、ジャンクフードで夕ご飯のあとは、携帯メール
をばりばり打つ。

2日目は体調ばっちり。ようやく周囲の人たちに目がいき出した。
「わたしには、凹凸が見えません!」と先生に訴えていた20代の
女性。ぼんやりして、先生に「どうしました?」と聞かれ、「おもしろく
ないんです」「・・・それは、困りましたね」これも20代の別の女性。

お昼は、初めて、学食に行ってみた。そこで同席した若いお嬢さん
は、広島の人。2週間京都住まいとのことだった。すごい。ホテル
の激安度はわたしの勝ち。

夕方の合評会が長引き、6時半ようやく終了。交通費をけちったら
金閣寺の方まで行ってしまい、とんでもない大回りになった。
バスの窓から見る京都の店は、早仕舞いだ。7時頃にもかかわらず
お店は次々とシャッターをしめている。寂しい。バスのお客も少ない
し、雨はしゃぼしゃぼと降り、これも、うら悲しいのだった。ましてや
わたしのホテルは御所の脇。烏丸通りの向こうは、その森が真っ暗。
ちょっと怖い。

洗濯をしようと、エレベーターに向かうと、同じ目的らしい荷物を
持った女性がいた。目が合うと、いきなり話しかけてきた。
「お洗濯ですか?」「はい」。
洗剤の用意がないから買って出直す、と彼女。

でもコインランドリーに行ってみると、彼女はいなかった。
そのかわり、50代くらいの、知的なおばさまが、洗濯機の前で
缶ビールを飲んでいた。話相手がほしかったのか、すぐさま
おしゃべりが始まった。女性ばかりのパーティーに参加したけれど
アルコールが全くなくてもの足りず、抜け出してきた、と言うのだ
った。
どこかの大学の先生なのか、わたしのスクーリング話に、興味
津々の様子。楽しいひとときだった。

3日目、じっとりと曇って、雷もなるような空模様。わたしの選んだ
牛骨に、ちっとも愛着がわかないので、閉口した。大きな目の穴の
向こうの、鼻の裏側の骨の部分を黒くしたら、まるで、子鹿のバンビ
ちゃん。角や骨の表情が立派な骨を選ぶべきだったと、後悔する。

夕方からは、合評会で、つくづく、わたしの絵は平板だとわかる。
先生からは、「黒の用い方が思いきりがいい、悪くないです」などと
言われたけれど、繊細さや質感に乏しく、まったくつまらない絵に
なってしまった。

終わって、妹の家に向かう。大阪まで、1時間半もかかり、8時、よう
やく到着。みんな歓迎してくれて、うれしい。ろくな食事をしてなか
ったので、がしがしとごちそうをいただく。ビールも。ようやく前半終了
で、気持ちがゆるんだ。

次回に続きます。