巴里、ショパン

金子光晴の「ねむれ巴里」を読んでいる。長いセンテ
ンスとくどくどしい形容に、ただならない粘着気質を
感じる。

1920年代に、多くの日本人がパリにいたらしいのに
驚く。
金子さん夫婦だけでなく、みんな大変な貧乏で、相手
かまわずダマしてはお金をせしめる毎日だ。毎日が
金策って・・・。
パリは、どんなにか魅力的だったんだろう。

純情な娘だと思ったら、とんだすれっからしの大年増。

金子氏は、晩年の随筆など読むと、孫がかわいくって
しようがない、などと言っているので、意外な感じが
してしまう。「どくろ杯」「ねむれ巴里」を読んでいると
そんな好々爺になるとは、とても思えない。

おもしろいので何時間も読んでいると、人いきれや体臭
や体液が発酵しきって、すえたような匂いが鼻の周りに
立ちこめる気がし、さすがにページを伏せた。

会社の同僚イガラシさんのピアノコンサートに出かけた。
4人の美しいピアニストたちの演奏。同じ大学のOGだと
いう。

イガラシさんは、サーモンピンクのロングドレスで登場。
集中した、いい顔をしていた。

少し前に「暗譜しなきゃ〜」と言っていた。
楽譜を持って登壇したけれど、それを脇に置き、落ち着
いて椅子の高さを調節してから、おもむろに、演奏を始
めた。それは、素人のわたしには十分以上に、すてきで
かっこいいショパンだった。

人の前で演奏をする、ってどんなに恐ろしいことだろう、
と思いながら聴いていた。そのときの意識のありようは?
その恐怖を押さえ込むものは、日々の鍛錬と、感性を
磨くこと?終わったときの充実感、高揚、喝采が、きっと
たまらないんだろうね。

イガラシさんはわたしの席からは、目をつむり、忘我の境地
のように見えた。きれいだったわ。

ときどき拍をとるところで、「ふっ」と強く短く息を吐くのが
わかった。

小さなホールだけれど、ピアノの後ろの長細いガラス窓
から差し込む光が、とても美しいのだった。