もうすぐ4年

きょうお昼を一緒にしたヨシエさんが「どうも気分が
重いのよ」と言った。汗をかいているのに寒いとか、
みんなが「暑い」というのに鳥肌がたつとか、心臓が
異様にドキドキする。やりがいを持てない。会社に来る
のがいや、などなど。人にその悩みを話せない、という
のもあった。わたしには、よっくわかった。

わたしも、去年の秋口まで、そんな感じだった。

わたしの表現では、それは「ウツ」。
希望が持てない。暗い側面ばかりに目がいく。過去に
こだわり、埒もない空想をする。虚無感。虚脱感。肩が
こる。頭が重い。心臓あたりが痛い。

親友や先輩たちが親身に相談に乗ってくれた。
夫もよくつきあってくれた。それでも、底なしに思える
不安や孤独感は消えなかった。

会社を休むほどのことがなかったのは、幸いだったかも
しれないけど、医者知らずだったわたしが病院に何カ所
も行った。
心電図、超音波、背骨のレントゲン、婦人科外来。
会社の健康相談。なんでもないと言われ、更年期だから、
と言われてもそれで、そのときはホッとしても、またぶり
かえす、暗い思い。

今思えば、そうしたことの引き金はあった。仕事や家の
こと、父のこと。それらが積もり積もっていったのだと思う。

おととし絵を始めたあたりが、浮上のきっかけに思える。

このごろ、大学の課題をこなしたり、集中して芸術論など
考えるようになって、気がついたら、ようやく、「ウツ」の
気配が少し薄くなっている。肩こりもさほどでなくなった。

最近では、長らく親しんでいた「月のもの」が間遠だ。
「なくなってせいせいした、と思えばいいのよ」なんて聞く
と、そんなに簡単じゃないぞ!と思う。生き物として、あった
ことがなくなるのは、寂しいし、いやだ。こう思うのが、当
たり前なんだ。
「前向きに」なんて聞くと、余計なお世話!と思う自分が
いたりする。

ただ、こんな深い闇のような「ウツ」の経験が、芸術表現
なり、そのひとそのものの一部になればいいんだと思う。

ヨシエさんには、なにか習い事をしてみるのもいいかも、
と勧めた。喜んでくれた。うれしかった。

今書いたことも、彼女に話すことができて、そのとき
いろんなことが繋がった。初めてわかった。だから、勢
いに任せて今書いている。

彼女にうっかり話さなかったことがある。それは、わたし
には日記があったこと。多分、この日記を始める前から、
わたしの「ウツ」は始まっていたんだ。自分の無意識が、
書くことを求めたのかも。もうすぐ4年。
ありがとうね。