京都の底力

12月3〜5日、3日間のスクーリングの会場は、四条の「杉本家
住宅」。
居住しつつ一部を公開している、まれな町家だという。
町家に入るのは、まるで初めてだ。

そこに終日逗留して「気配を消す」がテーマ。
障子に柔らかくさす日差しや、もみじの葉のふっと落ちる様など見
ながら、じっとしている。
手数をかけた木と紙の家。部屋の隅におかれた行灯や床の間の
お軸。さりげなく生けられた花。
ほうきの跡も美しい庭にはうっすらと苔が見える。

3日め、15センチ角の白い紙を使って、自分の残像を表現して
自分の思う場所にしつらえる、というもの。
わたしの作品はまったくの不出来で、恥ずかしいばかり。

それはともかく。
講師で、この家に住む人の話が非常におもしろかった。
「京都では他人に自らをあからさまにしないのです」
「靴を脱いで客間に上がるのは、同格の人だけ」
「最近おばんざいと言われているものは、本来、家の者だけで
食べるもの。それをお客人に出すなどは、恥ずかしいこと。
お客様には仕出しをとるのです」
「9月の地震以来、ちょっと家にズレが生じていて、お軸の位置が
なんとのう決まらないのです」
「家の言うことはようくわかるのです」
江戸中期からの由緒正しい旧家を守っていこうとする強い気持ち。
家が人をつくる。生き方も。さらに美意識を。

関東平野のどん詰まりの、父の生家のことを思ってしまった。
小さな集落の丘の上にあった大きな農家。わたしが子どもの頃
には、畑をする人が雇われていた。かまどがあり、五右衛門風呂が
あった。お手洗いは外にあった。2階は蚕室。倉もあったっけ。

今、そこには見事になにもない。ただ雑草が生い茂るだけ。

次男だった父は、結婚後、町に出て、西洋館と言われていた白い
壁に三角屋根のかわいい家を買った。真鍮のドアノブのついた
両開きの扉にはステンドグラスが嵌っていた。2階に上がる途中
には小さな窓があった。
同志社をつくった新島襄の影響で、キリスト教の信者だった
素封家が建てた別宅だったそうだ。

「家がひとをつくる」なら、わたしは、あの西洋館につくられた。
合評会のとき、自分の作品をうまく語れなくてふがいない思いを
したけれど、今ならもう少しうまく話せたかもしれないなあ。