切なさと寂しさと

昨日は、四十九日法要。
土曜日に群馬に帰る。すごく暖かくてビックリ。
美容院に寄ったりして家に帰ったのは4時半ごろ。
庭の梅が満開だった。
シラサギは川に全然いなかった。

最後まで残った問題は、お布施の金額。
大阪から帰ってきた妹トム、夫と三人で話し合って
決定する。それが高いのか安いのかは、まったく
わからない。

金曜日に、妹セレナが、高崎の百貨店で引き物を購入、
茶紙にくるまれた梱包3つをほどいたら、紙袋が5枚
不足していた。
実は、父の法要の時もほとんど同じアクシデントが
起きたので、またか、と思った。
そういうことは、連鎖するのかな。

法要の間に食事会の会場に持ってきてもらって、解決。

お寺では、法要の前、一族のトップの叔父が胸ポケット
から出したのが、赤い花結びののし袋だった。
わたしはそれを見ながら、「あれ、こういう時って
赤だったっけ?」と思った。
伯父は、自分が取り出した物を見て、「ん、ん、ん?」
その表書きは「お見舞い」、どこかの会社の名前が
書かれていた。
伯母が入院しているので、どこからか頂いたものを
うっかり勘違いして持ってきてしまったらしい。

伯父は齢85、自他ともに認める、町どころか県の名士。

切なかった。

お墓をちゃんとお掃除していなくて、情けない思いもした。
去年の12月に母とトムがお墓参りして以来だった。
本当にお恥ずかしいけれど、どうもわたしはこういうことに
無頓着でいけない。

それにしても、こういう行事をこなすごとに、母が遠くなる。

何かと雑事を先延ばしにしているのも、おそらく同じ理由
なのだと思う。