9月5日 リビエールブルー国立公園、ヤテ村

翌日は、ご主人も一緒に一日ドライブ。リビエールブルー国立公園から、ヤテ村、
ヌーメアの反対側の海まで行った。
ヌーメアは道路も整備されているしクルマも多い。朝夕は渋滞もするほど。
道路はロータリーが多くて、わかりずらい。
M砂ちゃんは最初わからなくて、同じところをグルグル回ってたそうだ。

けれども、少し郊外に出ると、行き交うクルマはほとんどなくなる。
リビエールブルー国立公園までの道もそんなふうで、ご主人のSさんは
ビュンビュンとクルマを飛ばすのだった。


国立公園の入り口あたり。

このあたりの土は赤い。


そこを出ると、道路の左側は人口の湖。もともとあった大きな木の枝の先端が
水の上から頭を出していて、切ない。
さらに進むと、ダムが見えてきた。

ヤテ村の道沿いには、時々、ポストのようなものが立っていた。でも
そこにささっているのは、郵便物や新聞ではなくて、フランスパンだった。
村の中心には小さな小さな役場と学校があって、子どもたちだけでなく
肌の浅黒い人たちがのんびりと歩いていた。
クルマの中から手を振って挨拶。それがお決まりなのだとか。
このあたりでデジカメが電池切れ。

ヤテ村でSさんとM砂ちゃんがわたしたちに見せたかったのは、その昔、
日本人が従事していたというニッケル工場の廃墟だった。それは、浅い海に
打ち捨てられた鉄骨。朽ちて、運搬用のゴンドラがぶら下がっているのも見えた。

細い道を挟んで、日本人従事者の慰霊碑があり、新鮮なお花が供えられていた。
今も子孫の方がおられるのか、自然に頭が下がった。

日本のようによりどりみどりにお店はない。
そろそろ休みたいなと思った頃に、ポツリといい感じのお店が。

みんなで黙って、冷たい飲み物をいただきながら、眼下の海を
眺めた。



 

9月4日 モンコギ、ハイキング。

M砂ちゃんの旅はいつも、連日の企画三昧。
その昔、彼女がミラノに住んでいたときの1週間の旅も、毎日、厳しい合宿のようだった。
というわけで、アメデ島の翌日は、モンコギ(LE MONT KOGHI)をハイキング。
ヌーメアからクルマで3、40分で中腹の見晴らしのいい場所にたつオーベルジュに到着。



ランチの予約をしてから、山の中を縦横に走る登山道をハイキング開始。
途中、警官か軍人さんの団体さんと擦れ違う。「ボンジュール♪」とお互い軽快に
挨拶。でも、ちょっと違和感。何かあったのかといぶかる。

この山の中が不思議なのは、蜘蛛がいたこと以外、困るような虫にお目にかからないこと。
ときどき、フクロウが鳴くだけ。だから、ちっとも怖くなかった。

山の中を上がったり下がったりしながら、景色の拓けた所でオーベルジュの場所が
確認できる。

小さな川を渡るところで、苔むしたベンチを見つけた。


ほどよいハイキングを終え、お昼前に無事オーベルジュにたどり着く。
そこでいただいたこの写真の一皿が、今回のナンバーワン。
美味でした〜。


翌日の地元の新聞に、モンコギで遭難し一晩を山中で過ごして助かった若い男女の憔悴
しきった写真が一面に載っていた。

9月3日 アメデ島へ

M砂ちゃん宅は、なんと20時就寝4時起床。
夕べは、飛行機の中で眠れなかったので、20時就寝でも、すぐに
熟睡。
6時に、「日の出だよ!」の声で跳ね起き、東を見る。
ちょっとだけ雲が邪魔しているけど、すがすがしい日の出。
今日は、アメデ島一日ツアーだ。
8時にモゼル湾に行くと、わたしたちをアメデ島まで連れて行ってくれる
マリーD号の前には小さな出店みたいな建物があって、その前で、
スタッフの人たちが、ギターをかき鳴らし歌も歌って、リゾート気分を盛り上げている。
9時出航、美しすぎる海に極上の天気、気分はどんどん盛り上がる。
みんなが海を眺めている中、「su-doku」に夢中の女性がいた。
その向かいに、母上らしい女性がいたけど、会話もなかったなぁ。
(そういえば、M砂ちゃんのご主人も食後に熱心に数独やってたっけ)
40分ほどでアメデ島に着く。
島の象徴アメデ灯台の、灯台守の家族以外は誰も居住していないのだとか。
船に乗っていたスタッフがそのまま、ダンスのメンバーやグラスボートの係や
ブティックの店員さんや通訳になっていた。
ブティック前のパラソルの下に荷物を置くとまもなく
グラスボートの時間。
少しだけ沖に出て停泊すると、カラフルな魚が寄ってくる。
コバンザメがボートの底に頭をくっつけて帆走?しているのがおもしろい。
希望者がシュノーケリングをするのを、みんなで見物。水は冷たそう!
その後、船を乗り換えて、バリアリーフの際あたりまで行き、餌付け。
大きな魚が群がってきて迫力満天。
このあたりの水の色がすごくて、いつかこの色を絵の具で再現できるかなぁと思った。
島に戻ると、お食事の時間だ。これがけっこうおいしくて、大満足。
そのまま、南太平洋のダンスショーだ。
一通り終わると、わたしたち観客も参加して一緒に踊り、大いに盛り上がった。
お客はフランス人、オーストラリア人、イギリス人、日本人、韓国人という感じ。
その後も、パレオの着付けショー、ヤシの木登りなどなど、イベントが
盛りだくさん。
見ていると、中心的に目立つフランス人の3人家族がいて、乗りのいい日本人の母娘
とが、旧知の友だちのように楽しそうにしているのだった。
この無人島にもしも取り残されたら、この人たちがリーダーシップを
取るんだろうな〜なんて思った。
少しだけ、波打ち際で水と戯れた。サンゴの白い砂、ちょっとひんやりした水。ウミヘビがいたよ。
M砂ちゃんは、長崎から来たという若いお嬢さんたちと、「ヌーメアは佐世保に似てる」
なんて会話をしたそうだ。
パラソルの下で絵はがきを書き、そこのポストに投函。こういう所がイイネ!
せっかくだからと灯台に登ったけど、途中から急に怖くなる。
どうにか上まで行ったけど、わたしは早々に退散、一目散に螺旋階段を下った。
その昔、田舎の教会の塔に登ったはいいけど、降りるのが怖くて
大変だったことなどなど思い出し、冷や汗。
午後3時半、アメデ島を出発。
モゼル湾が近づくと、ギターや歌に合わせて踊り出す人たちも大勢いて
なんだか名残惜しい。
湾にはステキなヨットがたくさん停泊していて、夕方からのクルージングに
出かける人たちも。セレブだ〜!
このツアー、すごく充実しているので、絶対オススメです!
これはちょっと色が暗くて残念だけど、島の様子がわかるかと。

出発前。この空!

M砂ちゃんが灯台の上で撮った。島の裏側を歩いている人が見える。

ニューカレドニア 旅のはじまり

9月1日
20時40分発のエアカラン機でニューカレドニア ヌーメアに向かう。


目的は、2月に当地在住の日本人と結婚のため移住したM砂ちゃん訪問。


同行は共通の友人K。成田空港で待ち合わせしたら、ガッチャマンみたいな
サンバイザーをかぶってきたので、びっくり。
それ、リゾートに行くのにどうなんだろう?とは聞けなかったけど。


海外11年ぶりのわたし。
機内持ち込み検査があんなに厳しいなんて、まったく迂闊だった。
M砂ちゃんに、敷き布団をはじめ、いろいろ持参するよう頼まれ、
その準備にばかり気持ちが行っていて、下調べを怠ってしまったのが
敗因。うっかりお味噌を機内持ち込みにしてしまい、没収されてしまった。
悔しい。



空港も飛行機もワクワクするものだけれど、どういったって、乗っているときの
怖さはある。


案の定、一睡もできないまま、8時間後、ヌーメアのトントゥータ空港に着陸。


絵に描いたような青空、大快晴だ。風がさわやかでいい気持ち。
日本の10月の朝の感じ。
タラップで飛行機から降りるのも、南国らしい。


空港はいきなり「ようこそ」とひらがなのお出迎え。
他にも日本語表記が多い。
布団がなかなか出てこなくて、外に出るのに長い時間がかかってしまった。
予定通り、M砂ちゃんとご主人のSさんがクルマで迎えに来てくれていた。
M砂ちゃんとは半年ぶりの再会。Sさんとは初対面だ。
M砂ちゃんはかなり日焼けして、髪が少々変わったショートカットになってる。
Sさんは、よく鍛えているらしくスリムで、Tシャツに短パンというラフな格好。


小一時間ほど、快適なドライブ。

郊外らしく、牧場や農園が見える。木々の緑が美しい。小高い山並みもきれいだ。
ここではこれから春なんだって。



ヌーメアの町中に入ると、坂が多いのに気付く。カラフルで大きな家々。
工事中の集合住宅も。Sさんの話しでは、軽くバブルなんだとか。


彼らのマンションも、小高い丘の途中にあった。


イタリア人が建てたとかで、大理石の床のモザイクが美しい。


わたしたち二人に明るい東南向きの一室を与えてもらう。居心地よさそう。

M砂ちゃんの母上に上等の和菓子を頼まれて持って行ったけど、崩れてなくて
よかった。同行のMさんは、プリンターを持って行った。

布団とプリンターを無事に引き渡せて、ホッとした。

これは部屋からの眺め。
あとでアメデ灯台方向とわかる。

南洋ボケ

ニューカレドニアの話の前に、帰国後やらかした南洋ボケのこと。

コンタクトレンズが見えにくくてどうにもしようがないので
昨日朝、仕事を遅刻して、レンズ屋さんに行った。
たぶんタンパク汚れが相当付着してるんだろうと思ったら
眼科の先生が言った。
「あ〜、左右が逆に入ってますね〜」
「えええええ〜〜〜!!」

不調だと思ったときに、まずそれを疑ってみなかったことが
情けなくて、脱力した・・・。

そして、先生の勧めもあって、思い切って遠近両用コンタクトレンズ
作ることに決めた。

近視に乱視に老眼。新聞読むのもなんとなくおっくうになっていたし
仕事で6と8を間違えたこともあったので、もう潮時かなと思って。

会社に出社して、係長に「どうでしたか?」と聞かれたけど、
左右逆の話はしませんでした♪

イベント続きで

8月13~15日 新盆 
お客さん少なくて、物哀しかった。
一族の長の本家の伯父、三の倉の叔母も体調不良で。
高崎の叔母は、みんな高齢だから、仕方ないのよ、と言った。

夫が庭先で蜂に刺された。


28日 F田邸訪問 
久しぶりのO森さんも一緒。彼女ももう30を過ぎていた。
彼女が会社を辞めてからもう4年か。
F田さんの息子さんももう小学1年生になっていた。
お客さんが嬉しかったのかすごいテンションだった。ママにベッタリで
ちょっと気味が悪かった。お客の前では少し遠慮させた方が
いいんじゃないかい?と思ったほど。

F田さんは、意外や料理上手だった。
冷奴に、ザーサイとネギとショウガのみじん切りをごま油とお醤油で和えたものを
のせたのと、鶏手羽とゆで卵の醤油煮がおいしかったので、早速家で再現してみた。


31日 あかねちゃん結婚式
最強の雨女という噂のあかねちゃん。
それでなくてもこの週は猛烈な雷が連日続いていたので
チャペルの外のライスシャワーなど、荒天では興醒めだから心配だったけれど、
どうにか青空が広がってよかった。

チャペルでの式は讃美歌「いつくしみふかき」で始まった。
ファンファーレや結婚行進曲の生演奏など、なかなかよかった。
会社の人が大勢出席。
わたしもそうだけど、みんな気合いの入ったファッション。

9月1日  ニューカレドニア ヌーメアに出発
この話は次回に続きます。

高崎線で

がら空きの高崎線の車内で、向かいの席に座っている兄妹に目が行った。
お兄ちゃんは中学生、妹は幼稚園生、そんなお年頃。お兄ちゃんは
ゲームをしながらも妹のことをとても愛おしく気にかけていることが伝わってきた。
二人とも目力があって、いい顔をしていた。


そんな二人を見ていたら、幼なじみだったユキちゃんとヨシコちゃんの兄妹のことが
蘇ってきた。

ユキちゃんはかっこよくて成績も良い優等生、いつも皆の注目の的だった。
ヨシコちゃんは4歳年下だったと思う。
ユキちゃんは、中2の時、突然、手の付けられない反抗期に突入した。
おしゃべりもしなくなったまま中学を卒業以来、彼と会う事はなかった。

高崎駅のホームで、彼とヨシコちゃんにバッタリ出会ったのは、数えてみれば、7、8年
ぶりだったのかもしれない。

三人でボックス席に座って、おしゃべりしながら赤羽まで行った。
ヨシコちゃんが受験で、確か日芸だったような気がするけど、ユキちゃんは、彼女の
付き添いだと言っていた。緊張気味のヨシコちゃんを励まそうと、わたしも
頑張って他愛のないおしゃべりをしたのだった。
ユキちゃんはとても元気で楽しそうで、反抗期前のままだった。
ヨシコちゃんは言葉少なだったけど、目の涼しい美少女になっていた。
ユキちゃんがヨシコちゃんをかわいくって仕方ないのをすごく強く感じたっけ。


ヨシコちゃんが自殺したって聞いたのは、それからまた数年経ってからのことだ。
もう、それが具体的にいつだったかは、思い出せない。

その後の同窓会でも、わたしは彼に一度も会ったことはない。ただ、教師になったらしい、と
やはり教師になったケイちゃんが言っていた。

ユキちゃんに会ってみたいけど、きっともう、会うことはないんだろう。


そう思って向かい席の二人を改めて眺めながら、ふいに、この二人がいつか地球を救う
ヒーロー、ヒロインになるかも、などと思った。
彼らにとっては迷惑な夢想だったのかもしれないけれど。